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ピンク・フロイドの『原子心母』
Atom Heart Mother/Pink Floyd




牛。


牛です。ジャケット全体、これ牛です。
これはピンク・フロイドが1970年に発表した超絶名盤『Atom Heart Mother』、邦題にして『原子心母』である。
名訳すぎる。「直訳」なんて言葉があるが、これは「直訳」の言葉そのまんま、直、訳、である。
つまり、Atom=原子 Heart=心 Mother=母で、『原子心母』ということ。

ここに僕がこのアルバムについて、個人的な思い入れを書き記しておこうと思う。
僕がピンク・フロイドをはじめて聴いたのは『原子心母』。
2011年の9月に出たリマスター盤で改めて最初に聴き直したのも『原子心母』。
1stアルバムである『夜明けの口笛吹き』でもなく、『狂気』でもなく、『炎』でもなく、『原子心母』
である。
僕にとっては『原子心母』は特別なアルバムであり、人生の一部なのだ。

さて、僕のピンク・フロイドとの出会いについてであるが……。

ピンク・フロイド。
あの「音の魔力」に魅せられてしまった、衝撃的な体験、忘れようにも忘れられない……。
そう、ピンク・フロイドとの出会いは大体、16〜17歳の頃……。
なんとかっていうCDショップでピンク・フロイドのアルバムを買ったのだ。

タイトルは『Atom Heart Mother』(邦題:原子心母)。当時はロックの聴き始めでいろいろと模索していた時期である。
家に帰って、そのコンパクト・ディスクをトレイに置き、20分以上に及ぶ一曲目の『Atom Heart Mother』が始まって半分もしないうちに僕は悟った。このアルバムはこれからの人生に欠かせない存在になるであろう、と。使われている楽器などわからず(わかったところでなんだというのだ)、アルバム・ジャケットの牛も理解できなかった(牛の名前はルルベル3世らしい)……が、この宇宙的(cosmic)な曲に完全にやられてしまい、これがきっかけでピンク・フロイドに心酔することになる。

このアルバムに関わった当の本人であるロジャー・ウォーターズが「これはクソ失敗作やねん、後の作品の踏み台でしかないねん」とずいぶんと酷評したらしいが、どうか信じてほしい。この『Atom Heart Mother』というアルバムは、ワーグナーの『ニーベルングの指環』に匹敵する程の叙事詩的超大作なのだ。
特筆すべきは、あまりにシンフォニックであり、オペラ・クラシックであるこのアルバムのタイトルナンバーである。当時のアナログA面を覆い尽くす23分という長尺曲であるが、あほらしいほど壮大かつ黙示録的で叙事詩的な世界観を有しているがゆえにとてつもない想像力を掻き立てられ、23分があっという間に(という表現は的確ではないが、ゆったりとした音楽世界に引きこまれながらも足早と時間は過ぎるように)感じられる。
宇宙の膨張のように盛り上がり、ときには繊細に、ヘラジカのキンタマ袋の毛がのびるよりも遅い刻(とき)を僕らに与えてくれるのだ。
とにかく何も考えずに聴いてほしい。その圧倒的な音の奔流に飲まれてしまうことは必至である。